* TYOの雑踏、香港の喧騒 *
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昨日(2000年5月13日土曜日)、久しぶりに渋谷に出た。

雨なのにすごい人出で、ワタシなんぞは田舎者だからそれこそ前に進む事もままならない。一体全体、どうしたってどこにこんなに人が隠れていたのか。

地面や川の石をひっくり返した時みたいにわらわらと・・・
毎日がお酉様みたく、人、人、人・・・

ともかく、東京は、人混みは苦手だ。

でもここで一つの疑問に当たる。

ワタシは以前にも繰り返し香港が大好きだと書いているんだけれども、香港の都心だって負けじと人がいる。そりゃもうわさわさと。

でも、都内で感じる様なストレスは感じ無いんだなぁ・・・
なんでだろ?

都内の雑踏と、香港の喧騒と・・・一体何がそんなに違うのか?

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答えの一つは、多分「海があること」だと思う。

水のある風景は人をほっとさせる。最近では、マイナスイオンが心地良いだとか体に良いだとかという理屈が付いた様だけれども、

そのずぅっと以前から、ひとは噴水や川、そして海などには人のこころをほっとさせたりまったりさせたり、

・・・なにか「なるく」させる効果があるってコトは誰もが無意識に知っていたコトだと思う。

東京にだって東京湾はあるけれども、やっぱり混み混みの都心からは少し離れているしやっぱり東京湾はよどんでる。水の流れが滞ってる感じがするのだ。

ところが香港には都心に程近い所にどどーんと海(というか湾なんだろうけれども)があって、っていうよりきっと海沿いに栄えたんだろうな、

地理を簡単に説明すると香港という所は、おおまかには九龍島と香港島という二つの島で出来ていて、二つの島の間はおよそKm位なんだろう、

今手元に資料はないけれども、これ又いいかげんに説明すると、まぁだいたい山の手線で池袋から渋谷ってくらいのカンジかな、そのくらいの時間で横断できる海にはばまれている。(ってこれじゃ全然わかんないよね。後日調べてみます。)

この二つの島を繋ぐ交通手段は、大昔は船(フェリー)だけだったけれど、現代では海底トンネルが通っていて、車と地下鉄(MTR)が走っている。

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この海底トンネルは、元来の方法とは違って、大きなチューブを海に沈める、という施工の仕方で作ってあって、これには日本人の技師が関わっていて、

でもこのことは何年か前にドラマ化されてTVで放映されたりしたから、橋、香港フェチのワタシならずともみんなの知るところとなった為、ここではつっこんで話さない。

・・・香港フリーク大御所(?)の山口文憲さんという方の「香港旅の雑学ノート」という本に、この海底トンネルが出来る前はこの二つの島を結ぶ交通手段はフェリーだけだったから、

香港名物の台風が来て、そのフェリーが欠航すると会社も学校も香港中みんなお休みになってたけど、トンネルが出来てからはそうもいかなくなったから香港の人はちょっと残念だと言っている、いう様なことが書いてあったんだけれども、

ワタシが日本語教師として働いていた時(のコトは少しこちらに)・・・日本語教師として働いていた時の日本語学校の校長先生(日本人男性)は、ワタシが台風の日にびしょぬれになりながらも学校にやって来たら、

「よく来てくれましたねぇ〜。香港人の先生はたいてい(学校に)来ないですからね〜」

と言っていたから、その風習というか免罪符は、まだ結構人々の間では根強く残っているのかもしれない。

とと。横道にそれた。なんだっけ、そうだ、フェリーフェリー。

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海底トンネルの登場で、香港の人の生活は天候に左右されずに島間を行ったり来たり出来たり、移動時間が短縮されたりと、ぐっと便利になったはなったんだけれども、

でもだからと言って香港人が地下鉄ばかり利用しているかというとそうでもなくって。・・・聞く所によると隅田川の渡し船なんかはとっくのとうにすたれてしまったらしいのだけれど、香港の人達はみな、フェリーという名の「渡し」を未だご愛用している。

まぁ、フェリーが一番安いってコトもあるんだろうけれど、ワタシが思うに、理由はそれだけじゃなくって(つったってどっちにしたってワタシの勝手な憶測なんだけれども)香港の、あのエネルギッシュな空気にはさしもの香港人と言えども少しは「当た」っちゃってて、

その「疳の虫」みたいなものを調整する為に無意識に人々はフェリーという水の上の交通手段を選び取っているのでは無いかと思う。

「日本人の原動力は、すなわち風呂である。」

というのを何処かで読んだ事があるんだけれども、香港人の原動力というか、あの人口密度でも香港が「やって行ける」からくりは、あの海、というかフェリーにあるんじゃないかとさえワタシは思ってしまふ。

こう考えて行くと、『「水のある風景」が人のこころを和ませる』という事実は、水のエアゾル化でイオンがどうのこうのと言うだけでは無しに、

にんげんの古い記憶──例えばお母さんのおなかの中とか、まだプランクトンで海でただよってた頃とかの記憶──から「水のある風景」には馴染んだ物への安心感というか、故郷と同じ様な吸引力というか効果があるのでは無いかと思う。

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で、ワタシが都内の人ゴミはどうもダメで、香港のごちゃごちゃは大丈夫っていうかむしろ大好きで、同じ都心の混雑ななのにどうもこう違うのか、一体ナニが違うのさ

って言うことのもう一つの理由っていうか、こっちがメインだと思うんだけど・・・

それは何かというと、

「香港の人はそこに住んでいる」

ってコトだと思う。

香港の雑踏は、都内のそれと同じ様に怒濤さかまく様な様々な情報や、一刀両断に色んな物を断絶させる冷たいコンクリートに間仕切りさせられながらも

「どっこい生きている」じゃあないけれども、そこにはきちんと「生活」や「暮らし」があって、人々は今日もそこでなりふり構わず生きている。

そんな生活感にまみれた不思議な都会、香港(の都心)がワタシは好きでたまらない。

(もちろん、香港の田舎も大好きだけど。)