* タ イ の お 坊 さ ん * (メールマガジンでお届けに上がる商品のほんの一例です。) |
今日、ワタシが旅行中持ち歩いていた「旅ノート」を見直してみた所、先日公開したタイのお菓子のイラストを描き始めたのが、91年11月20日(水)である事が解った。関係ないけど今年(2000年)の11月20日は月曜日。なんか(きっと自分の中だけでなんだろうけど)不思議。 さて、その頃のワタシはまだ旅の初心者、体力的にも精神的にもいっぱいいっぱい、旅することだけで精一杯で、日記も旅の記録も全然書いてなくて、その証拠に11月20日の次の記録はなんと12月6日。 そんな最中に記録された11月20日だから、その日前後は特別不思議な事が沢山あった日なのだろう。 その日は、確かバンコクから列車でしばらく行った所にある「ペッブリ」という土地に居たと思う。本当の名前は「ペ(チャ)プリ」という所なのだけれど、(チャ)の所は口の中で発音するというタイ独特の発声法の為、日本人のワタシの耳には「ペッブリ」と聞こえるし、自分でもオリジナルの発音は出来なかった。 タイではその日以外にも不思議な出来事は沢山あったけれど、でもそれは、ワタシがカラダの中に湯水の様に入ってくる『異文化』を処理しきれなくて、只、自分の中だけで「不思議の世界」になってるだけで、恐らく現地では当たり前の日々が当たり前の様にあっただけなのだろうけれど。 さて、その日の「旅ノート」には、大きな出来事が二つ記されている。 一つは、タイの学校に迷い込んだ事。 日記から抜粋すると 『きのうは、お寺とつながっている学校(幼児〜中学生くらい)に入り込んで見学やらなにやら、はてはごはんまで食べてしまった。 何と、購買には子ども商い*あり、アイス屋あり、ごはん屋あり(売っているのは先生)で驚かされる。ソバ、カレー各5B*』 とカンタンに書いてある。 (*補足:「子ども商い*」とはワタシの地元の言い方で、まぁ一般に言う駄菓子屋の事で、「B*」は"バーツ"というタイの通貨の事です。) その日はお寺を見て回っているウチにいつの間にか併設されている学校に入り込んでしまい、校内を色々見学させてもらったり、子ども達と遊んだり、ついでに一緒にゴハンまで食べしまったのだった。 その学校は給食ではなく、文中にある様に学校の中にある購買兼学食みたいな(といっても中庭で先生が炊き出しやっている様な感じの)所で子どもがそれぞれ自分でお金を出して食事をとっていたのが印象的だった。 他にも、学校の中の立て看板にAIDSに関することや、麻薬に関する事が解りやすく書いたポスターが貼ってあって、旅仲間からタイの性教育はしごく遅れていると聞いていたのでそれがちょっと驚いた事と、そのポスターの中に麻薬の種類や説明が書いてあったんだけれど、その中にタバコやコーラまで書いてあってびっくりした事が記憶に残っている。 もう一つは、日記を書いた日の事。 このことはすごく良く覚えている。 その日、ワタシはすごく疲れてしまっていて、ワタシは旅の師匠と一緒にあるお寺の大きな木の下でゴロゴロしていた。 ワタシは、旅そのものにすごく疲れてしまっていて、気だるく、タイの日差しと空気に完全に負けていた。 旅の師匠はそんな覇気のないワタシに内心苛立ちというかジレンマを感じながら木の下に居たと思う。ワタシは、でもどうすることも出来なくて香港で買った床屋用のハサミを取り出し、枝毛切りなぞしていた。 すると、もうおじいさんのお坊さんがやって来てワタシ達に手招きしたので、ワタシの旅の師匠がお坊さんの方へ近寄って行った。 前にも書いたけれど、タイでは女性がお坊さんに触れるのはタブーだから、ワタシはおとなしく木の下に座っていた。 すると、お坊さんは師匠に何か食べ物の袋を渡して去って行った。 タイでは、お坊さんが托鉢をするためか、沢山の屋台が立って食べ物は何でも小さなビニールの袋に入れて「お持ち帰り」にしてくれる。 そのお寺は小僧さんもあんまりいなそうな、寂れたお寺だったので、もしかして托鉢の食べ物があまってしまってワタシ達に恵んでくれたのだろうか、とワタシは思った。 ともかく、ワタシ達はそのゴハンをありがたくいただく事にした。 木陰でワタシ達がおこぼれに預かっていると、またさっきのお坊さんがやって来て、今度は水をくれた。ちゃんとした1Lのペットボトルで、ビンは冷えて汗をかいていた。青いキャップだった。 驚きつつも師匠はそれも素直に遠慮なくいただいた。 しばらくすると又そのお坊さんがやって来て、今度はなんと20B札の束を渡そうとした。 その時は流石にワタシもお坊さんのそばへ寄って行って、2人で丁寧にお断りした。 もしかしたら、ワタシ達は駆け落ちしたカップルか何かに間違われたのかもしれない。場合によっては、心中の算段でもしていると思われたのかも。 確かに、その時のワタシ達は旅の足並みというかコンビが揃わなくなっていて、残りのお金もすごく乏しかったから、そういう雰囲気に見えなくもなかったのだろう。 「お寺の中で刃物なんか出すから」とワタシは師匠にたしなめられた。 師匠は、もう、このお寺には修行する小坊主さんも居なくて、あのお坊さんは一人寂しくこのお寺にいるんじゃないかなぁ、もしかしたら自分達を子どもの様に感じたのかも、と言うような事を言っていた。 タイの日差しは木陰でも厳しく、遠くに見える本堂の柱はその赤が焼けてあせていた。 |