* ウ ソ の 絵 * (メールマガジンでお届けに上がる商品のほんの一例です。) |
きのう、電動歯ブラシを買った。今日はアルバム整理。明日からはちょっち病院巡り。 ----- 子どもの頃から絵を描いてきて、ある時から私は、絵を描く度にひとつ悩む様になった。 それは私のことばで言うと「ウソの絵」か「ホントの絵か」という事だった。 見たモノを描く。描いている内に今「見えて」いるモノとチガウモノが描きたくなって来る。 どうしても。 でも、当時の私はそこで、少しでも今「目で見ているモノ」とチガウモノを描いてしまったら、それは「ウソの絵」になってしまうと思っていた。 だから、描かなかった。でも苦しんだ。窮屈だった。好きな絵を描いているのに。ヘンだった。 その頃の私にとって、抽象画も又「ウソの絵」だった。 じゃあ、ピカソの様に思いっきり「ウソの絵」を描いてやれ、と思って描いてみたが、なんか、違ってた。いや、全く、ちがってた、し、第一描けなかった。 高校にあがっても、やっぱり私はあいかわらず同じ様に悩んでた。 ある日、美術の授業中、センセイにその混沌としたキモチをぶつけた。 「今見えているモノ」以外のモノを描きたいの。でもそれじゃ「ウソの絵」になっちゃう。「ホントの絵」と「ウソの絵」と・・・一体、どーしたらいーの??? それは殆ど幼児が今見た夢と現実が混乱してるよー説明ぶりだった。 でも、Kセンセイはいつもの赤黒くて神経質そーで、でも剛胆な顔でちょっと私の顔より下をニラみながら 「感じたよーに描けばいいんだよ。」 と言った。「感じた通ぉりに、描く。」 その瞬間、私はものすごく自由になった。 今までのわだかまりが全て溶けてしまったのだ。 感じた、ままに、描く。 ・・・当時の私はあまりにも無知で「印象派」なんて全くしらなかったけれど、多分あのセンセイはそーゆーコトをいったんだろう。 なるほど、今思い出してみると彼の絵はまさに印象主義的。 ・・・そーゆー教育の仕方もあるんだな・・・ 美術準備室は殆ど自分のアトリエ代わりにして奥さんのヌードばかり描いているし、子どもを学校で遊ばせるし、休日には奥さんと学校のテニスコートでテニスするり、ナルシストだし、すぐ怒るくせにしんけーしつだし、自信家だし、バカ親だし・・・ ・・・でも、教育者なんだな・・・。 きっとピカソも恋人があーゆーふーだと"感じた"んだろー。 きっとダレもウソを描いてはいない。 |