◆ 『煮 る 花』 19/[/1999 3:15 ◆

 かねてから行きたかった中古CD屋ってヤツに行った。
思ったほど自分の欲しいのが無くて不漁だったが仕方がない。
でも結構時間を掛けて悩んだ末GETしたのはスティングの「ブルータートルの夢」とニルヴァーナの「IN UTERO」だった。(今「IN UTERO」を聞きながら書いています。)
 どちらも以前持っていたもの何だけど、引っ越しの際にどこかへやってしまってもう一度手に入れたというワケ。

 私は音楽が凄く好きだけれどちょっと前まで私は、音楽メディア−テープ、レコード、CDの類−を全く手にしなくなってしまった。
そうなってしまったのは、東南アジアを旅行してからだ。
 多分、私はあの永くて短い東南アジアの旅で「音楽」ってヤツを知ったんだと思う。

 東南アジアではどの国でも、どんなに小さな村でも音楽があふれていて、みんな音楽を心から−いや躰から、って言った方がいいのかな−楽しんでいた。
 目をつむると今でも私はバリの山の方の小さな村の夜の闇に落ちてゆく事が出来る。
 その、神に捧げる「音」は、青銅の楽器から創られ、それは湿気った空気に溶け、なじみ、風と、空気と、その匂いと、土埃と、汗と、体温と、犬の鳴き声や鶏の声や粗悪な空気をまき散らすバイクの音なんかとも調和し、人々は、奏でる人も、聞く人も、大人も、子どもも、年老いた人も、赤ちゃんも、動物も、ひょっとすると神様さえもひとつになって、「そこ」で「音楽」になっていた。

 そんな体験をしてから私は「音楽」が「持ち運べる」なんて全く考えられなってしまって、それは音楽だけではない、帰国後2〜3年位の私はは極端にリアルな物にしか興味が行かなくなってしまったのだ。

 しかし、ここ最近の私は大分文明や、時間に慣れてきて、最近では仕事もやって、この世界に馴染んできて、馴染めば馴染む程又前の様にCDなんかが欲しくなって来た。
 んで、最近どうにもこうにも手持ちのCDでは我慢が行かなくなって来ていて、働いたらCDを買おう、働いたらCDを買おう、と思っていたのだ。
 そんな矢先、「中古CD屋」という存在を知り、かねてから行きたがっていたワケなのだ。

 さて、せっかく久しぶりに懐かしい2枚を聞いたので、「ブルータートルの夢」はともかく(^_^;)「IN UTERO」について一言。

      『やっぱ、コバーンは天才だ。


天才だって、いやむしろ天才程、努力−飽くなき「努力」−ってヤツをすると思う。(このアルバムを創るのに)きっとコバーンは苦しんだろう。ゆっくり、眠ってくれ。どうもありがとう。
1999/8/19 3:15
◆ 改築記念 02月09日〜15日 1999 ◆